2007年9月26日水曜日

ボンカレーの謎

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ニッポン・ロングセラー考 Vol.37 大塚食品 ボンカレー 3分間待つだけでOK! 日本初の市販レトルト食品

レトルト食品の原型は軍用携帯食だった

レトルト釜

現在のレトルト釜。ここにパウチをまとめて入れ、加圧・加熱殺菌する。

食品の世界には、その後の食のスタイルを劇的に変えた革新的な技術がいくつかある。例えば、缶詰や冷凍食品、インスタントラーメンなど。どれも皆、私たちの食生活には欠かせないものばかりだ。
そしてもうひとつ忘れてならないのが、レトルト食品。箱を開けてパッケージを取り出し、お湯で温めるだけ。あとはご飯を用意すれば、カレーやシチューが手軽に食べられる。手の込んだ料理をまったく調理せずに食べられるのだから、こんなに便利な食べ物はない。レトルト食品と聞いて、どんな製品を連想するだろう? 多くの人は、まずカレーを思い浮かべるのではないか。そしてカレーと来れば、大塚食品の「ボンカレー」の名が挙がるはず。何を隠そう、日本で初めて市販されたレトルト食品が、この「ボンカレー」なのである。

本来レトルトとは、高温加熱殺菌釜のことを指している。その釜で加圧・加熱殺菌した食品をレトルト食品といい、レトルト食品を封入している気密性・遮光性のある袋は、レトルトパウチと呼ばれる。
レトルト技術の研究が始まったのは、1950年代のアメリカ。アメリカ陸軍が缶詰に変わる軍用携帯食として開発したものだった。缶詰と違ってかさばらず軽いから、携帯に便利。常温で長期間保存でき、食べるときは缶切りもいらない。更に食べた後も容器の処理が簡単。レトルトはメリットの多い技術だったが、アメリカでも研究には時間がかかっていた。

それから十数年後の1964(昭和39)年。カレースパイスを扱う会社に資本参加した大塚食品は、その会社を建て直すため、新商品の開発に迫られていた。缶やルーではない、今までにない斬新なカレーはできないものか。
その頃、偶然、開発陣の目に止まったのが、アメリカのパッケージ専門誌に掲載されたソーセージの真空パックに関する記事だった。
「この技術とカレーを組み合わせたら、お湯で温めるだけで食べられるカレーができるかもしれない。1人前入りで、誰も失敗しない美味しいカレーが」
そのアイデアは画期的なものだった。カレーは庶民の味として親しまれていたものの、お母さんが鍋でじっくり作り、一家揃って食べるものだったからだ。こうして、大塚食品は独自のやり方でレトルトの研究を進めることとなった。

発想は斬新だったが、開発は困難を極めた。レトルト食品はアメリカの軍事物資なので、ノウハウは入手不可能。すべてを自分たちで開発するしかなかったが、当時の大塚食品にはパウチにする包材もなければ、レトルト釜もなかった。あるのはグループ会社の大塚製薬が持っていた点滴液の殺菌技術だけ。これを利用し、レトルト釜は自分たちで作った。
カレーを入れたパウチをレトルト釜に入れ、殺菌のため高温処理すると、中身が膨らんで破裂してしまう。そのために圧力をかけるのだが、この温度と圧力の兼ね合いが難しい。開発陣はレトルト釜を何度も組み直しては、圧力や温度を調整し直した。また、手作りのパウチはシーリングが完全ではなく、加熱殺菌中に中身が漏れてしまうこともあった。
開発室は、いつもカレーの匂いが充満していたという。

アルミ箔を用いたパウチで光と酸素を遮断

初代ボンカレー

発売当時のボンカレー。レトルトパウチが半透明で、中のカレーが見えている。味は最初から甘口・辛口が用意されていた。

69年発売のボンカレー

パウチの素材にアルミ箔を用いた1969(昭和44)年発売のボンカレー。パッケージデザインからも、パウチが不透明になっていることが分かる。


試行錯誤の末、1968(昭和43)年3月、日本初の市販レトルト食品「ボンカレー」が誕生した。
それは、パウチを3分間お湯で温めるだけで1人前のカレーが食べられる画期的な食べ物だった。ボイルした肉に新鮮な野菜をたっぷり加えて、じっくり煮込んだトロみのある味わい。ちなみにボンカレーという名前は、フランス語で「良い、美味しい」を意味する“bon”と、英語の“curry”を組み合わせたものだ。テスト的な意味もあり、販売は阪神地区に限定された。
苦労の末に開発したパウチは、低圧ポリエチレンとポリエステルの2層構造を採用。光と酸素によって風味が失われてしまうため、賞味期限は冬場3ヵ月、夏場2ヵ月が限度だった。

ところが、このパウチに問題があった。シーリングが甘かったり、運搬時の衝撃でパウチに微細な穴が開き、そこから空気が入って菌が発生してしまったのだ。出荷した半分が不良品になってしまうという事態が発生した。
急遽対応に迫られた大塚食品は、翌年の5月、包材メーカーと協力して開発したポリエステル/アルミ箔/ポリプロピレンの3層構造パウチを新たに採用する。アルミ箔が光と酸素を遮断するため、初期の問題は完全にクリア。また、同時にこのパウチによって、賞味期限を2年に伸ばすこともできた。
この1年2ヵ月で仕切り直した新生ボンカレーこそが、後に爆発的なヒット商品となっていく。

ところで、発売当時のボンカレーの評判はどうだったのだろう。
なにせ今まで誰も見たことがない食べ物である。しかも値段は80円。レストランで食べるカレーの値段が100円位だった時代だから、かなり高価だ。
それよりも当時の人々は、パックに入った液体状のカレーが2年も持つことが不思議でならなかったようだ。中には、大塚製薬と関係があるから防腐剤が沢山入ってるんじゃないかと疑う声まであったという。
そんな疑念を払拭し、商品の素晴らしさを理解してもらうため、同社は販売と宣伝に力を尽くす。

販売の現場では、営業マンが市場で炊き出しをし、販売店を相手に試食会を実施。直接ボンカレーを食べてもらって、お店に置いてくれるよう盛んに働きかけた。中には、お昼に立ち食いのうどん屋に入り、カバンから取り出したボンカレーをうどんにかけて食べる営業マンもいたらしい。周囲の人々は相当驚いたことだろう。
こんなゲリラ的なやり方が必要だったのも、ボンカレーがあまりに斬新な食べ物だったから。ともかくまず存在を知ってもらって、一度食べてもらわなければ何も始まらない。
ボンカレーは、大塚食品にとって初めての商品であり、唯一の商品でもあった。社運がかかっていたのである。

ボンカレーの顔になった女優、松山容子


松山容子のCMカット


ボンカレーの顔だった松山容子のテレビCM。その後、70年代には「仁鶴の子連れ狼」編CMがオンエアされ、「3分間、待つのだぞ」というセリフが大流行する。

松山容子のホーロー看板


松山容子の「ボンカレー」ホーロー看板。年代によって3種類のバージョンがあったという。今ではプレミアムが付くほどの貴重品。

現在40歳前後の人がボンカレーと聞いてすぐに思い浮かべるのは、パッケージに描かれたあの女性の姿ではないだろうか。和服を着たお母さんが、優しく微笑みながらボンカレーをご飯にかけている。起用されたのは、松竹のお姫様女優、松山容子だった。
きっかけは、60年代前半にテレビ放映されていた大塚グループ提供の人気時代劇『琴姫七変化』。これに主演し、人気に火がついた松山容子がお母さんのイメージにぴったりだということから、ボンカレーの顔になったと言われている。

当時も今も、商品のパッケージにタレントの姿がそのまま使われることは極めて珍しい。ボンカレーは消費者に対し、視覚的にも大きな訴求力を持っていた。
その後ボンカレーは世代交代が進み、今世紀に入ってからは、松山容子が描かれたオリジナルボンカレーをそろそろフェードアウトさせては、という話もあったという。が、西日本での人気が依然として高かったことから、沖縄地区限定という形で、オリジナルボンカレーは今も継続販売されている。

もう一つ、ボンカレーの宣伝で忘れられないものがある。それは、地方に行けば今も時たま目にすることがある懐かしのホーロー看板。まだテレビが普及する以前の60~70年代に盛んだった広告手法で、当時は日本各地の電信柱や板塀に、色とりどりのホーロー看板が打ち付けられていた。
中でもよく知られているのが、大塚グループが作っていたタレントを起用したホーロー看板の数々。大村崑の「オロナミンC」、浪花千栄子の「オロナイン軟膏」、水原弘の「ハイアース」。それらと並んでよく見かけたのが、松山容子の「ボンカレー」看板だった。

当時の営業マンには、契約する食料品店にホーロー看板を貼らせてもらうノルマがあったという。毎日十数枚の看板を持ってお店を訪ね、金槌を使って自分でコンコンと看板を打ち付ける。今考えるとけっこう重労働だ。当時の営業マンは本当に大変だったに違いない。
ボンカレーのホーロー看板は、60年代後半から70年代初めにかけて、約10万枚が作られた。


お湯で3分からレンジで2分へ──進化したボンカレーの登場

78年発売のボンカレーゴールド

1978年に発売された「ボンカレーゴールド」。香辛料やフルーツをふんだんに使い、新しい味を提案した。

現行のボンカレーゴールド21

“21世紀のスタンダードカレー”と銘打たれた現行のボンカレーゴールド。唐辛子“ハバネロ”を使った「熱辛」もある。168円(税込)。
現行のボンカレー

電子レンジで調理できるようになった“進化した”ボンカレー。中身も220gに増量されている。210円(税込)。

電子レンジ対応パウチ

ボンカレーの電子レンジ対応パウチ。吹き出した蒸気を上蓋が受け止める仕組みになっている。

最初は珍しい目で見られていたボンカレーも、次第にその美味しさや手軽さが一般に認められるようになり、販売量は年を追う毎に伸びていった。1973(昭和48)年には、なんと年間1億食を達成している。
ここまで受け入れられた背景には、日本人の食生活が大きく変わったことが挙げられるだろう。ボンカレーが登場した頃はまだ、食事は一家揃って決まった時間に取るのが一般的だった。ところが70年代以降、経済が急成長し、都会を中心に核家族化がどんどん進行する。当然、個食化が進み、手軽に食べられる一食完結型の食品が求められるようになる。ボンカレーはそうしたニーズを満たす代表的な食品だった。

1978(昭和53)年、市場に競合製品が増えてきたこともあり、大塚食品は新商品「ボンカレーゴールド」を発売する。日本人の嗜好の変化を考慮し、香辛料やフルーツを贅沢に使ったこの商品は、その後同社の看板商品に成長。現在も全ボンカレーの売上げの8割を占めている。
その後ボンカレーは大きな変化もなくロングセラーを続けてきたが、ゴールド登場から25年を経た2003(平成15)年9月、久々の画期的な新商品が登場する。

進化したボンカレーと呼ばれるこの商品は、ほぼどの家庭にも普及した電子レンジで調理することを前提に開発された。
ただし、アルミパウチのままでは電子レンジのマイクロ波がはね返されて温まらない。材質を変えてみたところ、今度はパウチが膨らんでしまうという問題が発生した。そこで、加熱と共に自動的に蒸気が抜ける機能を追加。その結果、箱のまま電子レンジで2分間温めるだけで調理できる、より便利で美味しいボンカレーが完成した。
もはやボンカレーは、お湯を湧かす必要もなくなったのである。

ボンカレーが誕生して、今年で38年目。各社が次々と新製品を投入する激戦のレトルトカレー市場にあって、ボンカレーほど高い知名度を誇るブランドは他にない。人によってはやや古めかしい印象を持つかもしれないが、それこそがボンカレーが守ってきた伝統であり、“元祖レトルトカレー”の証でもある。
もちろん、その伝統は電子レンジで調理できるようになった進化したボンカレーにもしっかりと受け継がれている。昔のボンカレーとは違う味なのに、どこかに“母さんの手作りカレー”を思わせる懐かしさがあるのだ。
進化したボンカレーのパッケージをよく見てみると、あの松山容子さんが小さく描かれていた。

取材協力:大塚食品株式会社(http://www.otsukafoods.co.jp/)

松山容子に代わる“お母さん”が、37年ぶりに登場!

一番新しい商品が、この「ボンカレークラシック」。発売当時の美味しさと安心感をアピールしている。




長らくボンカレーの顔だった松山容子に代わり、昨年8月、37年ぶりに新しいボンカレーのお母さんが登場した。
新商品「ボンカレークラシック」のパッケージを飾る新しいお母さんは、松坂慶子。かつての美人女優も今や2児の母親となり、テレビでもすっかり母親役が板に付いている。その優しく穏やかな雰囲気は、どこか松山容子に通じるものがあるように思えるから不思議。最適な人選ではないだろうか。このボンカレークラシックのコンセプトは、“母の手作りに学んだ、カラダにやさしいカレー”。30種類の野菜と果物、赤ワインでロースとした牛肉をじっくり煮込んで作った、健康志向のカレーなのだ。聞けば、若い頃ボンカレーを食べていたけれど、結婚して食べなくなり、子供たちが既に独立したシニア層をターゲットにしているという。懐かしさにあふれているこのパッケージ、確かにもう一度食べてみたくなりそうだ。

撮影/海野惶世(タイトル部) タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 Top of the page
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